2007年 12月 17日
ふいごまつり |
旧暦の11月8日、今年は12月の17日、当社でもささやかにふいご祭りを行い、作業の安全と商売繁盛を祈願しました。
当社のふいご祭りは、毎日使っている道具を大切にする気持ちを養うために、日頃使って痛んだ道具類を当社の鍛冶場で整え、その後、近くの大蔵寺住職にご祈祷していただき、なおらいとなります。
工場に祀ってあるお札も真新しくなり、新たな気持ちで仕事に打ち込むことになります。
ふいご祭りは、もともと鍛冶職や金工職、石屋など、鍛冶を必要とする職業に就いているものが、商売の元であるふいごを休ませ、火の神様を祀って、火の安全と商売繁盛を祈願したもので、古くから行われていた職人の祭りでした。江戸時代にはかなり盛んになり、その日は作業を一日休んで、近所にごちそうを振る舞っておおいに賑わったそうで、子供達にはミカンを投げて拾わせたそうです。
紀伊国屋文左衛門が決死の思いで江戸にミカンを運んだ話は、このふいご祭りに間に合わせるためだったとか。大勢の職人が江戸の町を支え、日本の産業全体を支えていた頃のお話しです。
当社のふいご祭りは、毎日使っている道具を大切にする気持ちを養うために、日頃使って痛んだ道具類を当社の鍛冶場で整え、その後、近くの大蔵寺住職にご祈祷していただき、なおらいとなります。
工場に祀ってあるお札も真新しくなり、新たな気持ちで仕事に打ち込むことになります。
ふいご祭りは、もともと鍛冶職や金工職、石屋など、鍛冶を必要とする職業に就いているものが、商売の元であるふいごを休ませ、火の神様を祀って、火の安全と商売繁盛を祈願したもので、古くから行われていた職人の祭りでした。江戸時代にはかなり盛んになり、その日は作業を一日休んで、近所にごちそうを振る舞っておおいに賑わったそうで、子供達にはミカンを投げて拾わせたそうです。
紀伊国屋文左衛門が決死の思いで江戸にミカンを運んだ話は、このふいご祭りに間に合わせるためだったとか。大勢の職人が江戸の町を支え、日本の産業全体を支えていた頃のお話しです。
by stonescape
| 2007-12-17 14:47